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土肥という地名は・・・
 
土が肥えると書いて土肥(とい)と読むのは、伊豆の方は当たり前に読みますが、

初めての方は、「とひ」とか「どひ」と読まれる方が多く、

読み慣れない方には、難しいですね。

物心付いた時から、当たり前の様になって、早?十年・・・の私ですが、

そもそも「土肥」の語源に付いては、ドップリ漬かりすぎて調べていませんでした。

で、合併前の土肥町の時に出版された「わが町土肥」をみたところ、土肥の

歴史について書かれてあり、大変興味深かったので、下記に記載させて頂きました。




土肥の歴史は一万年以上前の先土器時代まで遡ることができる、また平石、谷戸、

長藤平等の遺跡から多くの縄文時代の土器が発掘されています。

土肥と言う地名は、肥沃で農耕に適した素晴らしい大地であるという意味から

「土肥」の文字が当てられたといわれます。

また一説では、先住民族であったアイヌ人が「土」を意味する「とい」という言葉で

この地を呼んだともされ、いずれにしても土肥が古くから温暖で、

生活に適した豊かな土地である事を物語っています。

土肥は、古来より船が絶えず寄港する海上交通の重要なポイントでありました。

6〜7世紀頃から、この地に海上運輸や水先案内を業とするいわゆる「伊豆水軍」

が登場します。15世紀後半以降、高谷城と丸山城の城主であった富永氏は

北条早雲の家臣、北条水軍の中心的存在となって関東に進出、江戸城城代を約60年

にわたり務めるなど、北条家とともに栄えました。

土肥では天正5年(1577)に金銀山が開抗され、江戸時代初期には幕府直轄となり、

産出された金銀は駿府や江戸へ送られ、幕府の財政を支えていたのです。

また土肥には西伊豆最古にして最大の湯量を誇る温泉があり、

明治以降、「金と湯の町」の観光地として大いなる発展を遂げ現在に至っています。


と記述されてあり、土肥を見直してしまった〜^^


こちらも歴史のある土肥神社例大祭です。

今月10、11日に行われますが、雨で準備が遅れ

きょうは祭りに向け急ピッチに支度が進められていました^^

(二階の窓から望遠で)

祭り当日お天気を祈ってま〜す^^













author:asakasou, category:歴史, 20:12
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